校閲記者として1年が過ぎ、いろいろなことがわかってくるようで改めてわからなくもなる頃の山田優梨記者が、校閲記者歴37年目の大ベテランで酸いも甘いも知り尽くした軽部能彦記者に校閲の今と昔について、ざっくばらんに聞きました。

プロフィル
軽部能彦(かるべ・よしひこ) 1982年入社、現在は嘱託。雑誌の編集をしていたが、もろもろあって新聞社の校閲の世界に飛び込む。新聞など報道機関の言葉のきまりをつくる集まりの中枢を担った経験から、部内外から言葉の使い方などの相談を受ける校閲部の言葉の番人。同郷の後輩のデスクいわく「あれだけ知識や経験があるのに相談に行くと、きちんと辞書を引いて答えてくれるのがすごいところ」。山形出身で肉そばと日本酒が好き。

山田優梨(やまだ・ゆり) 2017年入社。漫画の校閲がしたくて出版社を受けるも、筆記試験であっさり落ちてしまい、夢破れる。知人が新聞社にも校閲があると言っていたのを機に今に至る。趣味は小説執筆と音楽鑑賞。卒業制作の小説は「目薬を飲みたいと思って飲む人の話」。レゲエベースに興じるなど中南米音楽からモーニング娘。’18をはじめとするハロー!プロジェクトまで多様な音楽を網羅する。ハイボールは薄めが好き。

2年目くらいで一度嫌になる?


山田:ベテラン記者に聞くということで、校閲の今と昔の違いから聞いていきたいと思うのですが、まず個人的な変化はありますか。


軽部:まず体力がなくなりましたよ。仕方ないのだけれども。無理はできなくなったね、体は。休みが恋しいものだよね(笑い)。


山田:それは私も変わりませんよ。休みの日はねてばかりですから(笑い)。

軽部さんは休みの日はなにしているのですか。どこかに出かけたりしないものですか。


軽部:朝起きてテレビつけてペラペラと本読んでテレビ見て。出不精だからね……。ずっと独りだし(笑い)。

三十何年働いているけど夜働くのはきつい。最近は昼に出勤して夜帰れると楽だもん。

山田さんは2年目でしたっけ。だいたい2年目くらいが一度嫌になってくる時だよね。4~5年くらい続けるとまひしちゃう(笑い)。だいたい「やり方」がわかってくる時期だからね。

三十何年やっていると末期だもん。僕が1982年入社だからね。36年か……。長いね。嫌になるね(笑い)。


山田:まひ……(苦笑い)。

校閲記者の採用が活発化し始めた時代


山田:今の作業としての校閲に思うことはありますか。


軽部:みんなよく機械をつかいこなせているなあって。


山田:そこですか(笑い)。


軽部:機械もそうだけど時代が違うからね。

事実関係を調べるっていっても、今みたいにインターネットがあったわけではないから。本だったり、過去の新聞を調べたりすることが主だったわけですよ。


山田:要請されているものが今とは違うってことですか。


軽部:昔はね、校閲部は編集局の中でもすごく下にみられていたのですよ。こう言ったらなんだけど「ふきだまり」みたいな(笑い)。


山田:ふきだまり……(苦笑い)。


軽部:今と違って校閲プロパー(専門の校閲記者)なんてほとんどいなくて……。ほかの部からきた人がいっぱいいて。それが段々とプロパーを会社も採用していこうっていう時期だったからね。

直しが制約された鉛活字


山田:校閲記者人生の中で一番変わったなと思うことはなんですか。


軽部:うーん。やっぱり一番は技術面かな。入社したての頃は鉛の活字だったからね。

鑽孔機(さんこうき)っていう紙テープみたいなものに穴を開ける機械があって自動的に文字を拾って。でも穴が塞がっていると変な字が入ってくる、いわゆる「化ける」ってやつね。途中で直しが入るとその部分は一文字一文字人が手で拾って埋め込んでいくんですよ。

だから、何が起こったか、何をどう間違えたかというのはわかりやすいよね、今より。過程が見られるわけだから。今みたいに大刷り(紙面大のゲラ)になってからは大きな直しはできないのね。行が増えると組み直さなければいけないから。

もちろん今みたいに大刷りの前に小刷り(記事ごとなどの部分ゲラ)は渡されて直す作業はできるけど。文字が化けていないかとか。字がちゃんと入っているかとかを見るのが主だったね。

だから今のようにコンピューターでデジタル化されていて、いろいろな段階で直せるのは考えられないよね。どこでどういった経緯で直ったのか、替わったのかがわかりにくいけどもね。


山田:そうなんですか。今のようにデジタル化されるにあたって苦労しましたか。


軽部:機械が使いこなせないという問題がありますな(笑い)。


山田:結局……(笑い)。

会社名を間違え、菓子折り持って謝りに


山田:では昔と今で間違いの違いとか、印象的な失敗とかはありますか。


軽部:挙げていったらきりがないですけどね。恥ずかしながら。

手書きで原稿を書いていて活字を拾う時代は、見出しの柔道が桑道になっていたり、相撲が相模に、必死が心死になっていたりね。意味が全然違ってくるからね。

こういう失敗はいっぱいしたねえ。文字を打ち込むほうは桑や模、心という字だと思って入れるわけだから単語の意味じゃなくて一文字単位で拾っていくわけだから。

あとは、公害の記事で会社の名前を間違えてしまったことがあって。手書きの原稿の字が判別しづらくて東だったか本だったか忘れたけれど間違った字が入ってしまって。これもたまたまだけど間違って入った字の会社も存在して。そこに菓子折り持って謝りに行ったってこともありましたね。話題が話題だったから。

そういう意味では今は熟語としてパソコンで入力するからそういうのは少なくなってはいるよね。ただ今は同音で似た字を打たれてしまうと、見逃してしまうよね。警察署が警察暑になっていたりすることもあるからね。

一字一字という意識は薄れてきているわけじゃないのだけど「目」が変わっている気はするよね。当時の校閲はどちらかと言えば内容精査よりも誤字、脱字、組み違えというふうな今ではあまり起こらないようなことに気を配っていたから。


山田:そういう時の経験がいまに生きていることはありますか。


軽部:それはつながっていますよ。やっぱり、今だって一字一字みていかないとだめなところはあるよね。文字のダブりなんかは一字一字見ることによって初めて発見できることもあるからね。

あと、直しは読みやすくきちんと書くというのは意識しないといけないと思うよね。似た字は特に。本なのか東なのか、堆なのか推なのか。それで意味が違ってくるもの。丁寧に直しを書いて出す。

今は編集の人も意味の単位で直しを入れるから昔に比べるとそこまでミスはないのかもしれないけれど、校閲としては直しを出すことで間違いをつくったらいけないと思うよね。

言葉に触れるおもしろさ


山田:三十数年続けてきたモチベーションはなんだと思いますか。


軽部:ただただ生活のため(笑い)。性格的に引き算的な考え方で何ができるっていうものがあったわけではなかったから。取材も編集も違うかなと。

もともと雑誌の編集をやっていてそこから転職してきて。この会社をうけたのも出版部門があったからで。その当時、出版は募集していなくて、校閲に入ったから(笑い)。

でも、会社に入る前から小説書いたり、僕が仲間内でやっていた同人誌を文芸雑誌にとりあげてもらったりしていたからね。僕の作品はケチョンケチョンに言われたけれど(笑い)。

原稿用紙20枚で傑作が書けるかというのを友達と一生懸命、青臭い話をしていたね。20枚っていうのはほとんど何も書けないと同時に書けるかもしれないっていう絶妙なラインでね。同人誌は自分で金払って作るからどうしても長くなっちゃう。

学生の頃なんてそんなに頭働かないから何か経験を書こうとするとすごく長くなってしまうし。20枚でなにかをまとめようとすると観念的になって何も伝わらないし。そんなことをしていたからね。そうかと思えば300枚書いてくるやつもいて。みんな生活に追われてやめちゃったけれどね。

その当時から言葉に触れていることのおもしろさというのは感じていたんだろうなあ。これなら、ここなら自分が何とかいられる場所かなと思ったのだと思う。

出稿部に物を言える環境ができた


山田:それはいつごろ思えるようになったのですか。


軽部:4~5年くらいたったあたりでぼんやりと思ってきて、10年前後で仕事として腹をくくったというかね。

外からの目もあったんですよ。その頃の校閲っていうのがきちんと外に対して物を言ったり、これは違うといって直させたりできるようになった時期というのかな。

直すといっても誤字、脱字中心だった時代から、事実関係や文脈に関して外部に物が言えるようになった時期だったんですよ。


山田:それはなぜだったのですか。技術が変わったからですか。


軽部:技術の変革もあったけどその少し前にプロパーがはいってきたことが大きいかな。そういう人たちが若かったから怖い物知らずというか、いろいろな人とたたかっていたような気がするね。それをすることで周りからほめられたということもあって。

その当時は出稿部に問い合わせになんて行かなくて。今と違って下の階に校閲があって。急な階段を上っていかないといけないわけ。問い合わせに行くとお互いに顔がわかるわけじゃない。そうすると次に問い合わせに行くときに物が言いやすい環境になっていったというのはあるのかもね。自負じゃないけれども。

何年たっても間違える。しかし…


山田:ここまでやってきた達成感みたいなものはありますか。


軽部:ない(笑い)。上達しませんな。どんなにベテランといわれる域にはいっても間違えるところは初歩的な間違い。

ただ間違ったときは間違えたと認めるしかない。そこで落ち込んで反省して、毎日会社に行くのが嫌でその自己沈潜から自分の気持ちを切り替えていく飛躍が必要で。そういうのを重ねていけば自分の平均的な力量がわかってくる。そうするとある程度やっていけるかもしれない。それがわかってくると、今日はおかしいな、上滑りしているなとかわかってくるんですよ。

何かあった時によってたつところは結局自分しかいなくて。自分がどうしたのかっていうことが重要で、それは含羞でも恥じらいでもあるし、誇りでもあるし、それを自分でいかにコントロールしていくか。自分がこの場所にいてなにができるのか。たかだか直しを出すことしかできないんだけれどもそれがいかに難しいことかもだんだんわかってくるわけ。

こんな仕事をやっている自分はなんだろうとおもうこともあるけれど、そこにはおもしろさもあるし、つまらなさもくやしさも怠惰も一通り学ぶわけですよ。それは新聞紙面に反映されることはほとんどない。それを享受できるのはある意味変態なのかもしれない。

一行一行必死に読んで直った、直らないで一喜一憂している間に世界が変わっていることだってあるわけですよ。つまらないですよ。でもつまらないということはおもしろくないっていうことではないと思うわけですよ。日々やっていくしかないんだよね。きっと。

街で誤字をみつけると


山田:毎日会社に行くのが嫌でとおっしゃってましたが、なにか楽しいことはあったりはしないんですか。


軽部:うーん。強いて言えば、仕事が終わったときかな(笑い)。でも好事魔多しということわざがよくわかるようになったかもしれない。仕事が終わったときやうまくいったときは楽しいし、うれしいのだけれど、すぐに頭たたかれるみたいな毎日ですよ(笑い)。

うまくいったなとおもうとドンとね。それはなぜかというと自分だけで完結する仕事ではないので。いつも誰かがやったことの上で僕らは仕事をしているから、自分だけがうまくいったってどうしようもないこともあるし、自分がだめだったから全体に影響がでちゃうこともあるし。


山田:そうですよね。じゃあこの仕事をしていて得したことはありますか。


軽部:……ないですね(笑い)。街を歩いていて誤字、脱字みつけてもね。ああ間違えているな、みんな間違えるよなって逆に心強くおもうだけ(笑い)。

(つづく)【まとめ・横山康博】



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