校閲記者の仕事の一つに、原稿の表記が社の基準に合致しているか確かめる、というものがあります。

取り立てて言うほどのことではありませんが、私たちは主に漢字、平仮名、片仮名の中から書くための文字を選択します。「日本語」を「にほんご」「ニホンゴ」「にほん語」などと書いてもよいのです。


校閲記者は、社の用語集にのっとって仕事をしていますが、複数の選択肢がある中で、一定のルール・根拠に基づいて表記を統一している言葉があります。

たとえば本日5月5日の祝日は、国民の祝日に関する法律(1948年制定)にしたがって「こどもの日」と表記しています。「子供の日」や「子どもの日」となっていたら平仮名に直します。

しかし「コドモ連れの観光客でにぎわう」といったような場合のコドモは「子供」でも「子ども」でもよく、記事内で表記が割れていない限りは校閲では直しません(理由があれば割れていても直しません)。ところが、この「コドモ」を巡って、特別な考えがある人もいるようです。


表記の「正しさ」?

コドモをどう表記するかについては、「子供派」と「子ども派」で、どちらが「正しい」のかをことさら競っているような印象があります。それぞれの主な言い分の一例を書きますと

子供派
「子」「ども」の交ぜ書き表記はよくない
子ども派
「供」に大人に従属するイメージを受ける

といったような具合です。ですが、交ぜ書きといっても漢語の交ぜ書きではありませんし、「供」は当て字で付録的な意味はないとの見解もあります。

日本国語大辞典の語誌にも
漢字表記を当てる場合、基本的には上代から室町末期まで『子等』、院政期ごろより『子共』を用いることも多くなる。近世に入り『子供』の表記を生じた
とあります。

ある表記を選択する理由が、個人の思想や信条に基づくものだと、どうしてもそれに対して自分がどう感じるかといった主観的な問題になるでしょう。

子供派は「子ども」とする根拠に反発しますし、同様に子ども派は「子供」とする理由に抵抗があるのでしょう。そしてお互い、「どちらでもいい」ということに納得はしないようです。自分の立場は「正しく」、それ以外は「誤り」と考えてしまいがちだからです。


個人が語から受けるイメージをどう持つかは個人の自由ですし、好きな表記をすればよいと思います。しかし、他人の使う表記が自分の考えるものと違うからといって、それはよくない、駄目だなどと批判するような話でもないのではないでしょうか。


毎日新聞ではどうか

「コドモ」について、毎日新聞は特に決まりを設けていません。用語集の「用字用語の基本」には次のようにあります。
用例に挙げた言葉のうち、漢字書きのものは、漢字で書けることを示したもので、漢字で書かなければならないということではない。
また、「こども」の項目を見ると、「(小供)→子供 [注]祝日はこどもの日」となっています。

したがって毎日新聞では、小供は認めていないがそれ以外の「子供」「子ども」「こども」であれば、いずれの表記でもよい(「こどもの日」など固有名詞は例外)、ということになっています。実際の記事件数はといいますと、毎日新聞の過去記事データベースで本文検索すると以下のようになります。(固有名詞の区別はしていません。東京本社のみ)


「子ども」の表記が増えてきてはいますが、2010年以降「子供」と「子ども」の比率はそれぞれ5割前後で、どちらが優勢ともいえない状況です。同一記事内で表記が割れていない限りは校閲記者からどちらかに直すということはありませんので、書き手の表記をなるべくそのまま生かすことになります。

その結果、固有名詞を含んではいますが5割前後ということなので、「子供派」「子ども派」とも同程度いるのでしょうか。この事実自体が「どちらでも問題ない」ということの、一つの傍証になるのではないかと思います。


「こだわり」への反省を

日本語の文字表記は本来、選択の余地があるものです。あきらかに他者を傷つけるような表記は好ましくありませんが、コドモの側から「子供」か「子ども」かで何か声が上がったという話は聞いたことがありません。こうでなければならないと決めたがるオトナ側の問題といったところでしょう。

表記に対する「こだわり」は、まず自分自身の個人的なものなのだ、と考え直すことも大切ではないかと思います。
【甲木那緒】



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