校閲記者になって5カ月がたちました。この間、しばしば同僚や友人から「どうして校閲記者になったの」と聞かれました。いつも「校閲になんとなく興味があったから、ですかね……」という感じで、あいまいに答えるばかりなのですが、その「なんとなく興味」を持つようになった原点には、よく間違われる自分の名前があるような気がします。

先日、毎日新聞の読者のみなさんからの投書コーナー「みんなの広場」に「固有名詞は正確に書いて」という投書が掲載されていましたが、そこには次のようにありました。
私の名字は「大洲(おおす)」だが、子供の頃から頻繁に「大州」と書かれ、悲しい思いをしてきた
2018年03月02日朝刊
関連記事:「洲」と「州」の関係は? ―リンク先の中ほど「ここで間違う」にあります

何を隠そう、私は昨年末の校閲記者ブログ「間違えないで、私の名前」に登場した「ホラ、あの、今度入る、西村京太郎サスペンスみたいな名前の子」でして、「悲しい思いをしてきた」とか「固有名詞は間違いなく書いてほしい」という感情はよく分かります。(余談ですが、西村京太郎氏の十津川警部シリーズは中学生のころの愛読書で、登場人物に「西本刑事」がいる点にも好感が持てました。どうやら近刊で西本刑事は殺されたらしいですね……)


そのブログ記事には書かれていませんでしたが、さらに言うと私の名前、「竜」ではなく「龍」が本来の(戸籍上の)表記なのです。校閲グループに配属されて名簿を見たときに思わず「校閲なのに何という誤記!」と心の中で叫んでしまいましたが、これは新人記者の早合点。新聞では「旧字体、異体字の使用を避ける」という原則があります。

毎日新聞用語集より

もちろん歴史上の人物や著名人など例外的に使用することはありますが、校閲記者が「例外」では示しがつかないということで(?)、「龍」は「竜」にしているということなのです。

しかし、正直なところやはり違和感がないわけではありません。ですから、原稿を読んでいて、旧字体・異体字を新字体・常用漢字に直さなければならないときは、赤字を入れながら個人的に同情せざるを得ません。




さて、校閲記者になって変わったことといえば、①夜型の生活になったこと②これまで気にならなかった表記が目に留まるようになったこと——でしょうか。

①についてはさておき、②については例えばこんな文章があったとします。

「◯◯さんと◯◯さんと三人で遊んだり食事する事が出来て嬉しかった」

以前だったら素通りしていましたが、今では思わず次のように、すなわち毎日新聞が定めた表記のルールに従って変換してしまうことがあります。

「◯◯さんと◯◯さんと3人で遊んだり食事したりすることができてうれしかった」

私の「先生」でもある先輩記者が「普段の生活でも(メールを含めて)文章を書くときはできるだけ赤本(毎日新聞用語集)の表記や正しい日本語を気にする」と言っていました。私もなるべくそのような心構えでいたいと思っています。


けれどもその一方で、ルールはあくまでもルールであり、それに縛られすぎないように気をつけたいとも思います。誤記や誤植というものはあっても、究極的に言って言葉に正解はないのだから(そうでなければ詩など書けないのではないでしょうか)、SNSをはじめとする市井で使われている「ルール外」の言葉にも敬意を払いたい。

その意味で「仲畑流万能川柳」の名句の数々などは、固くなりがちな校閲記者としての自分の頭にとって欠かせない柔軟剤と言えるかもしれません。

私の好きな言葉ですが、作曲家のベートーベンは次のように言っています。
「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)規則は一つもない
ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」片山敏彦訳、岩波文庫
もっとも規則を破ったことが自覚できるようになるには、規則を知らねばなりません。やはり、まずは地道に規則を覚えることから始めようと、気持ちを新たにする新年度です。
【西本竜太朗】





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