小池百合子さんが東京都知事選に立候補を表明したときの毎日新聞で、こんな記事が載りました。
内田茂都連幹事長は「全く聞いていない。びっくりしている。(都連としての)対応はこれから協議する」とぶぜんとした表情だ。
この「ぶぜん」の使い方に、読者から「誤用」というお叱りを頂戴しました。内田氏は怒っているので、その場面で使う言葉ではないという指摘です。次のようにお答えしました。
「ぶぜん」の意味は、辞書では「意外なことにあきれはてたり、がっかりしたりして、ことばもないようす」(角川必携国語辞典)、「落胆したりあきれたりして、呆然(ぼうぜん)とするさま」(明鏡国語辞典第2版)などとあります。今回の東京都連幹事長は「全く聞いていない。びっくりしている」という発言が記事にあるように、意外なことに驚きあきれていることがうかがえますので、「ぶぜん」は間違った用法とはいえないと判断しております。

なお「明鏡国語辞典」は補説で「近年、俗にむっとする意にも使う」とあります。気にされているのは、この使い方ではないかと拝察します。確かに、「ぶぜん」が怒りの感情のみで使われた場合は不適切と考えられます。しかし今回、発言者は怒った表情を見せたかもしれませんが、その発言は前述の通り「びっくりしている」という反応にとどまりますので、少なくともこの文に関しては誤用ではないのではないでしょうか。
このように返事を書きつつ、やはりあの都議会のドンとされる人は怒っていたんだろうなと想像していました。しかし、だからといって「ぶぜん」は不適切だろうかとも思います。想定外の出来事に対する人間の心の中には、さまざまな感情があるでしょう。その一部でも「ぶぜん」の本来の意味に該当する表情が読み取れたとすれば、誤用とはいいにくいのです。

いま「本来の意味」と書きましたが、「憮然(ぶぜん)」の使い方は歴史的に変遷を繰り返してきました。「論語」では「むなしい気持ちになるさま。がっかりと失望するさま」(学研漢和大字典)。空海の「三教指帰(さんごうしいき)」での「憮然」は「びっくりするさま」という意味とされています(岩波書店「日本古典文学大系」の注)。

そして、今年没後100年の夏目漱石「吾輩は猫である」に、こんなくだりがあります。苦沙弥先生の留守中、奥さんが迷亭君に夫への不満をたらたら述べている場面です。読みもしない本を大量に買い込むことへの不満。私も妻によく文句を言われるので人ごとではないのですが、注目すべきなのは、書店へのつけがたまっていることについてのせりふの後の文言です。
「それでも、そう何時(いつ) までも引張る訳にも参りませんから」と細君は憮然としている。
「失望」とも「驚く」とも違う新たな使い方をここに見ることができます。辞書で探すと「大辞林」の①の意味「思いどおりにならなくて不満なさま」に当たるでしょう。そこから、「俗に」とされている「むっとする意」が生まれるのは、それほど不自然な流れではない気がします。

とはいうものの、新聞はできるだけ俗語・俗用は避けるようにしています。今後辞書から「俗に」という注釈が一掃され「むっとする」意味が公認されれば、またそのときに新たな判断することになるかもしれませんが、今のところ「毎日新聞用語集」では次のように記し記者に注意を促しています。「『腹を立ててむっとする』意味に使われることが多いが、本来は『失望や不満で、むなしく、やりきれない思いでいるさま』」

「ぶぜん」の使い方に「ぶぜん」とする読者のことを考えれば、少なくとも怒っていることが明らかな状況では避けるべきでしょう。
【岩佐義樹】

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