和歌山電鉄貴志川線の駅長として人気を集め、6月22日に死んだ三毛猫「たま」のニュースは、新聞各紙でも大きく扱われました。

大阪本社版6月25日朝刊(以下同)の毎日

今はペットが家族同然の時代。たまが「死んだ」と書くとぞんざいな印象を受ける人もいそうですが、新聞では動物の死に「亡くなる」「死亡」といった言葉は原則として使えません。これらの言葉を辞書で引くと、大抵は「人が死ぬこと」と主語を人間に限定しています。「亡」の字は元々は「人が逃れ、入り隠れる義」(講談社新大字典)。このルールについては、以前にもこのブログで取り上げました(→「動物が死亡」の違和感)。

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今回も各紙、記事中で「亡くなる」や「死亡」、また通常の訃報記事で使われる「死去」は避け、「死んだ」を使っていました。ただ、記事の中ではそれでよくても、見出しが「たま、死ぬ」ではさすがに冷たいと感じる向きもあるでしょう。地方路線の活性化に貢献したたまの死に際しては和歌山電鉄が社葬を執り行うなど、もはや人間に匹敵する扱いです(そもそも駅長でした)。さて、このような場合、各紙の編集者はどんな見出しをつけるのか? そしてそれは、本当に校閲の目で見てもOKなのか?

左から産経、日経、朝日の社会面

大阪本社発行版の各紙を並べて目につくのは「天国へ」と「大往生」で、いずれも複数の新聞で使われていました。毎日新聞は「天国へ」でした。いや、動物が天国へ行くのか? 往生する(極楽浄土に生まれ変わる)のか?という疑問が浮かびますが、それを言うのはやぼというもの。どちらも元の宗教的な意味合いは薄れ、単に死の比喩として定着しているといってよいでしょう。それでも人間の訃報に使うのは、故人の宗教観を気にして慎重になってしまう表現ですから、このあたりの言葉は新聞的には、かえって「動物用」の趣すらあるようです。

「大往生」には「安らかな死」などの意味も含まれます。たまが16歳、人間に換算して80歳という長生きだった点を盛り込みたかったのでしょう。職場のベテラン校閲記者によると、動物園で人気があった動物が死んだ際の記事では、一種のパターンのように昔から「大往生」が使われてきたとのことです。

産経(左)と朝日の1面インデックス

このほか「逝く」であるとか、記事の一部で「訃報」や「他界」を使っている新聞もありました。毎日新聞はたまの経歴の表では「息を引き取る」と表記していました。辞書を引き比べると、確かにいずれも「亡」の字が含まれる言葉よりは人間に限定されるニュアンスは小さいようです。しかし「逝く」「訃報」はまだしも「他界」は個人的にはかなり違和感が……。「息を引き取る」も、読者によってはしっくり来なかったかもしれません。

もっともたまを巡っては、関係者も原稿を書く記者も、ある種のユーモアとして人間のように扱っているところがあり、校閲が単語レベルで口を出すことにどれほどの意味があるのか、と悩んでしまうことも。ただ、やはり新聞としてふさわしい日本語を届ける立場として越えてはならない一線もあるはずで、今後も面倒臭がられても思ったことは言おうと、気持ちを新たにしたのでした。これ、よく勘違いされるんですけど、別に校閲記者がユーモアを理解しないわけじゃないんですよ!
【植松厚太郎】

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