1年に1度は旅をする。外国の旅の始まりには決まって、腕時計の針をチキチキ回す。時差を埋める針の動きの分だけ、自分が日常から遠ざかるのを感じる。それは爽快でもあり、闇に落ちていくようでもある。

先月、国際面にこんな記事が載った。「ロシアの標準時が変更され、日本とモスクワの時差は現在の5時間から6時間になる」。小さな記事だったので、気に留めなかった人がほとんどかもしれない。しかも一部の地域の新聞には掲載すらされていない。しかし我々校閲記者にとっては、大きな意味を持つ。毎日新聞用語集の表紙をめくると、メルカトル図法の世界地図が見開きで現れる。「時差表」とあり、世界が6色に塗り分けられている。これは、世界の時刻が一目で分かるページである。日本標準時を基準にして、グリニッジ標準時は「-9」、ニューデリー「-4+30分」というように、世界はそのとき何時だったのか、ぱっと計算できるようになっている。

例えば、先ごろ米国で起きた民間宇宙船の墜落の記事。原稿は当初、「ロサンゼルス北郊のモハーベ砂漠で10月31日午前10時(日本時間11月1日午前3時)ごろ」となっていた。「時差表」を開くと確かに米西海岸ロサンゼルスは「-17」。しかし、表には注意書きがある。「欧州、米国などには夏時間がある」。インターネットでロサンゼルスの夏時間情報を調べると、「2014年は11月2日まで」とある。つまりこの事故の日はまだ夏時間、時差は「-16」。原稿を「10月31日午前10時(日本時間11月1日午前2時)」と直した。

たかが1時間だ、とも思う。午前2時に起こっていようが3時に起こっていようがあまり関係ないんじゃないか、とも。でも私はかつて、米同時多発テロが起きたときのことを鮮明に覚えている。まだ10代だったが、テレビの映像を目にし、時計を見た。「いま」アメリカで確実に起こっていることがそこにある。「いま」は一つで、現実も一つである。だから時間というものは絶対に正確でないといけないと思う。人間は、死を意識することで時間という感覚を得た唯一の動物である。時間は確実に死に向かって動いてゆき、その変化する時間の中に自分がいる。自分はいつか死ぬだろうと、有限性を意識することで人間は、絶対的な自己を得る。

ロシアの標準時変更は、絶対的なものが突然転覆するような感覚を私に与えた。だがもちろん、広大な国の中にいくつものタイムゾーンがあり、国内の時差が10時間にもなる特殊な国の事情を踏まえてのこと。元ロシア特派員のOさんに聞いてみた。「ロシアの人たち、混乱しないんですか?国内を旅するたびに腕時計の時間を変えなきゃならないなんて」「そうだねえ。でもロシア人、あまり移動しないですから」。そうなのか。「モスクワで暮らしていたとき、不便は感じませんでした?」「確かに、極東に電話しようとしたら向こうは真夜中ですからね。気を付けていたね」

なるほど。同じ国の人に電話するのに、時間という壁があるのか。今年3月のこと、ロシアに「編入」されたクリミア半島はモスクワ時間に「移行」した。親露派の指導者の見守る中、駅の時計の針がその場で2時間進められ、集まったロシア系住民からは拍手が起こったという。なるほど。国という囲いに必然性がない分、不自然に隔たった地域を意識的にすべようとするのか。

今回、ロシアは当然のごとく、クリミアの標準時も変更するとした。しかしもちろん、国際社会も、日本政府も、これを認めてはいない。毎日新聞は「時差表」を作り直す上で、こう通達した。「クリミア半島はロシア時間ではなく、ウクライナ時間です。ご注意ください」。上司が静かに伝えたこの言葉を、私は深く受け止めた。
【湯浅悠紀】

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