先般、読者の方から、コラムに出てきた「本寸法」という言葉の「読みと意味がわかりません」という質問を頂きました。この言葉、落語を聞いておりますと時々登場するのですが、辞書にはほとんど載っていません。主だった辞書で採録しているのは「広辞苑」ぐらい、それも2008年の第6版になって初めて加わったもので、「本寸法:ほんすんぽう」として「本来の正しい基準にかなっていること。落語などの芸を、くずしていないこと」と解説しています。しかし、落語に出てくる以上は古くからある言葉のはずなのに、ごく最近になって初めて辞書に載ったというのは、一体どうしたことか?というわけで、もう少し深く調べてみることになりました。

ひとまず、実際の口演に出てきた例をご紹介しましょう。いずれも、CDなどの音源を基に、私が書き起こしたものです(以下、引用に関しては敬称略)。

◆八代目桂文楽「小言幸兵衛」
三味線がどんな品物かを描写するくだりで:
「紫檀(したん)棹(ざお)に花梨(かりん)胴、十五の糸に象牙のバチと来ると本寸法だね」

◆五代目春風亭柳朝「小言幸兵衛」
心中の場面を芝居仕立てで説明するくだりで:
「今鳴る鐘は七つの鐘、七つの鐘を六つ聞いて、残る一つは未来へ土産、『お花覚悟は良いか』『南無阿弥陀仏』と来りゃ本寸法なんだが」

◆三代目古今亭志ん朝「時そば」
そばの具に本物の「ちくわ」が入っている、というくだりで:
「最近は悪いもんがはやってるよ、ちくわ麩(ぶ)なんて冗談じゃねえや、ええ? 麩なんざ、ありゃ病人の食うもんだよ、なあ? 何から何まで本寸法だね」

いずれも「本来の姿、理想的なあり方」を指しており、広辞苑にある「落語などの芸を、くずしていないこと」という意味合いからはズレがあることは納得していただけるものと存じます。こうしたズレが生じている理由は、辞書はあくまで文献に出てくる言葉を採録したものである、ということを踏まえて考える必要がありそうです。では実際のところ、文献ではどんな用例があるのでしょうか。

◆安藤鶴夫「わが落語鑑賞」(筑摩書房、1965)
「へッつい幽霊」に出てくる「本寸法(ほんずんぽう)」の語釈で、「うまい手順。ものごとの、正しいはこびかた」*1

◆柳亭左龍「使ってみたいイキでイナセな江戸ことば」(2008、小学館)
「本来のやり方、正しい手順に合っているときに使う」
「落語界では、古典落語をしっかりやる人のことを、『あいつは本寸法だから…』などと言う」

◆広瀬和生「現代落語の基礎知識」(2010、集英社)
「伝統的な美学に則った正統派の古典落語、というような意味合いを凝縮した『本寸法』という単語は、書き手にとって便利なので、僕もついつい使ってしまうことがある」

時代が下ってから「芸および芸人に対する評価」という意味合いが加わったことにお気づきでしょう。広辞苑の語釈も、より新しい用例に即したものと見てよさそうです。

ここからは筆者の推測となりますが、落語の口演で出てくる「本寸法」を踏まえ、いつからか高座の出来栄え、また落語家の芸風を論評する文脈で、「理想的なあり方」=「本格派、正統派」という意味合いが生まれてきたのでしょう。しかしながら、文献に登場し始めたのは最近のことです*2。その理由としては、

・ここ十数年の「落語ブーム」を受け、落語関係の解説・評論がメディアに登場する機会が増えていること

・ブームと並行してインターネットが爆発的に普及したため、一般人がネット上に落語の解説・評論を載せるのも増えたこと

――といった事情が関係しているように思われます。

以上、古くから使われているはずの言い回しが、文章語としては微妙に意味合いを変えながら広く認知されていく、という珍しい例を長々と追ってまいりました。こうした例を目の当たりにすると、言葉が「生きている」ことを実感させられると同時に、辞書に新たな語を採録する際の労苦に対し、改めて頭の下がる思いが致します。

また、ご覧いただいた通り、もともと「本寸法」は落語の世界と結びつきの強い語です。このたび質問を頂いたコラムでは、映画賞を受賞した女優に関して使っていたのですが、落語以外の分野に関して用いる場合は簡単な説明を付す、といった工夫は必要なのかもしれません。
【百田知弘】
...
*1: ただしこれは、同書の「富久」で「寸法」の語釈として「寸法は手順、計略、計画、策略などという意」、「明烏」で同じく「手順。計画。はかりごと」とあるのを踏まえているようにも思われます。 なお、「へッつい幽霊」は三代目桂三木助の口演を文字に起こしたもので、「手が七三のところへいって、うらめしいイ――というのが、こりゃアまア幽霊の本寸法とでも申しますかな」とあります。私としては、この例でも「本来の姿、理想的なあり方」と解する方が、むしろ自然なように感じます。
*2: 広瀬「現代落語の基礎知識」では、2001年に落語評論家の京須偕充が、三代目志ん朝の追悼文で「本寸法を外さない芸」と書いている例を挙げています。
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