by Wiiii
裸足の王様だけが日本人の注目を浴びていたわけではなかった。お家芸と自負する柔道が、初のオリンピック種目として行われる以上、負けるわけにはいかない。さらに武道として本来は、体重別制など、そぐわないという信念を持っていた日本柔道界にとっては、真の王者=無差別級だと思うから、1961年の世界選手権でその無差別級で3人の日本選手を破って優勝しているオランダのアントン・ヘーシンクに再び敗れるわけにはいかない。必勝、打倒ヘーシンクの大目標は大人の柔道関係者のみならず、町の道場に通う小学生にしみわたっていたといえた。

だが、3階級を制した後の無差別級戦の畳には、いわば民族主義的柔道魂を震え上がらせるような巨人が立っていた。身長179センチの神永昭夫に対して、ヘーシンクは2メートルもあろうかという「巨人」だった。テレビの前で固く手を合わせて必勝を祈っても、大男に組み伏されてしまえば、日本人としては決して小柄ではない神永さえ寝技から逃れることはできない。9分22秒けさ固めで一本負け。ほとんどの日本人が柔道で外国人に負けるわけがないと思っている中での敗北だった。

その後、ヘーシンクは日本のプロレスのリングに上がることになるが対戦したジャイアント馬場に「柔道着でないヘーシンクほど弱い者は他にいない」といわれたり、選手引退後に役員として賛否両論があったカラー柔道着の導入を推進したりしたことは、あの日本武道館での勝利に比べれば、巨人にとっては大した意味はなかったかもしれない。

なお日本武道館のアリーナ中央の天井からは、いかなる場合でも日章旗を降ろしてはならない、という規則があるのだそうだ。

注意点・「ヘーシング」と表記されることがあるが、つづりはkである。

1964年10月1日、「夢の超特急」東海道新幹線が開業した。まるでオリンピックの開会に間に合わせたようなタイミングであったと感じたのは確かだった。2020年東京開催が決まった直後、テレビのワイドショー番組で、リニア新幹線開業が間に合わないのは残念だ、と語る人がいたが、まあ開催決定を喜んでのことだと思って聞いていた。もう下火になったが、何にでも「超」をつける軽はずみな表現がはやる風潮があったが、「超」言葉の表面上の走りがこの「超特急」という言葉であったと言えなくもない。東海道新幹線の計画は戦前に立てられ、戦中に中止になった「弾丸列車計画」が母体であり、技術的にも継承した部分は小さくないといわれる。その結晶としての新幹線開通までが20年余りを要したことを考えれば、従来の鉄道とは異なるリニアモーターカーの新幹線の着工予定が来年度だとして、約6年で開業しろというのは、それこそ「超」のつく突貫作業ではないのか。

もう一言・「超」といえば64年五輪で突然耳に跳びこんできたのが「ウルトラC」という和製英語。今は「G難度」などといい男子は7段階、女子は8段階ある。
【岸田真人】

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