「『昨年8月以降は公の場に姿を見せず、塾考を重ねた』とあるのは『熟考』が正解。発見したAさん(=同僚)は想定外の漢字に、『一体どうやって変換したのだろう?』と首をかしげることしきり」
今年1月、大阪本社校閲グループの連絡ノートにこう記されました。大リーガー、松井秀喜選手の引退会見を報じる記事にあった、形の似た漢字の間違いを正したという一件。パソコン入力が定着して以降、間違いの“主役”の座は同音語の変換ミスへと移り、「想定外」との記述が示す通り、この種の誤りが出現する頻度はめっきり低くなりました。とはいえ、しぶとく生き残っているのも事実。うっかりスルーさせてしまうこともあり、校閲記者泣かせの筆頭格と言えるでしょう。


「教授」が「教援」、「減少」が「滅少」、「法廷」が「法延」に――。かつて鉛の活字を一つ一つ組んで新聞を作っていた時代なら、これらの誤植は日常茶飯事でしたが、なぜいまだに「塾考」のような誤りが発生するのか不可解至極。

原因の一つとして考えられるのが、表示したい漢字の読み方を間違って覚えていたりよく分からなかったりしてうまく変換できない場合、1字ずつ拾う手法に切り替えて該当する漢字を探すうちに、変換候補の中から字体の似た別の漢字を選択してしまうパターン。今回の件もあくまで推測ですが、「じゅっこう」と入力すべきなのに「じゅくこう」と、単漢字「熟」の読みに“忠実に”キーボードをたたいたためうまくいかず、わざわざ「じゅく」と「こう」を分けて打ったのではないかと思うのです。


そこで要注意なのが、人名や地名などの固有名詞。難読なものや珍しいものをはじめ1字ずつ変換せざるを得ないケースが多いからです。

先日も、先輩が将棋の観戦記をゲラ段階で点検中、個性派で知られる若手棋士の橋本崇載(たかのり)八段が「橋本祟載」と誤っているのを発見。尊敬を意味する「崇」が一転「祟(たた)り」になっては雲泥の差。字面はそっくりですが名前に「祟」はあり得ず、橋本八段に失礼極まりない事態となるところでした。

「崇拝(すうはい)」や「崇(あが)める」の他、名前に見られる「たかし」で変換するなど「崇」を出す選択肢はいくつか考えられます。一方の「祟」はあえて「たたり」と入力しない限り、まず登場しないはずなのですが。


最近間違えそうになった同様の例を挙げると(正解は省略します)

「旧性鈴木」

「狭殺プレー」

「高梁(コーリャン)」

「殻雨」

「種牝馬」

「中皮種」

「貧欲に学ぶ」

「今冶西(高校)」

「通天閤」

「円山応拳」

だまされないためには、まず「パソコン入力だからあり得ない」という先入観を排除して、漢字の一点一画を凝視するという校閲の原点を忘れない姿勢が何より肝要だと言えます。

そう偉そうに言う私ですが、苦い思い出として今も覚えているのは20年ほど前の出来事。本社主催のセンバツ最終日の朝刊1面に掲載する、関係各位や観客に謝意を表す社告の見出し「お礼」が「お札」に化けているのを、担当していて見逃してしまったのです。周囲から指摘の声が上がり命拾いしましたが、普段から感謝の気持ちよりも紙幣への執着心の方が上回っている私の不徳が招いたミスではないかと、しばし自問したのでした。
【宇治敏行】

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