スポーツの秋。スポーツ記事で見かけた二つの表現について考えます。

「腕ぶす」は腕をなでさすりして大一番に備えるという意味で、「腕ぶすマエケン」などとスポーツ面を中心に時々出てきますが、一般的には使われず分かりにくい表現です。手近の国語辞典にもないようで、一部の辞書の「腕」のところに「腕を撫す 『腕をさする』に同じ」とあるのがせいぜい(「腕をさする」は「自分の力を発揮したくて機会を待つさま」)。新聞特有の表現かどうかは分かりませんが、読者の目からは奇異な表現ととられてしまいます。

中国文学者の高島俊男さんは「漢字雑談」(講談社現代新書)で、他紙が同様の表現を使った「腕ぶす得意舞台」の見出しについて、撫が常用漢字ではないから平仮名を使っていると察したうえで「そもそも『撫す』などということばを使うのがまちがいなのである。と言って『腕なでる得意舞台』では意味をなさないから、そこは『張り切る得意舞台』とか『意気ごむ得意舞台』とか、別の言い方を考えるべきところだ」と批判しています。

次に「固定概念」。イチロー選手について「打撃理論や体格など野球界の固定概念への挑戦」という形で出ましたが、読者から「固定観念の間違いではないか」という指摘がありました。

確かに辞書では「固定概念」の語は見当たりません。しかし伝統的な四字熟語ではないにしても、複合語としてはありうるかもしれないので、文脈で考えなければなりません。

「観念」は単純にいえば「どうしなければならないものか、ということについての考え」という意味。一方「概念」はもともと哲学用語で、辞書によって表現はさまざまですが、「おおよその理解や意味」という意味が一般的な解釈でしょう。さきほどの文章では、イチロー選手が挑戦したのは「打撃はこうあるべきだという固定した考え」という感じで使われているようです。「固定概念」は全く食い違っているとは思いませんが、「固定観念」の方がふさわしい表現であることは否めません。

岩波国語辞典の「観念」の項は「俗に『概念』と混同して使う」とことわっています。そのことからも「固定概念」が全くの間違いではないことがうかがえます。しかし「俗に」使われているからといって、新聞で堂々と使ってよいということにはなりません。読者からは「正しい日本語の使用が求められる全国紙に使用するにはふさわしくないのでは」とお叱りめいた指摘をいただきました。私は「観念」して「おっしゃる通り」というお返事を出しました。
【岩佐義樹】
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