「右腕に軽いけがを負った」

今日も見ーつけた!と心の中でつぶやきながら赤字を入れます。よくお目にかかる「誤りやすい慣用語句」。ベタ記事にこそ潜んでいる、厄介ものではないでしょうか。

毎日新聞用語集でも示していますが、「けがを負う」は「傷を負う」か「けがをする」に正さなければなりません。しかし、そもそもどうして「けがを負う」ではいけないのか——。

おさらいすると、「けがをする」を「傷をする」とはできないように、「けが」と「傷」はイコールではありません。傷を負った結果が「けが」なので、「けがを負う」だと、結果が先にくるねじれた表現——という理屈からでした。確かに日本語には「湯をわかす」など結果が先にくる用法もあるにはあります。でも、慣用語句として「傷を負う」を示す辞書はあっても、「けがを負う」を挙げる辞書は見あたりません。「『傷を負う』が適切な慣用語句なので、そちらを使いましょう」というわけです。

ところで「けがを負う」が多出する理由ですが、支局時代を振り返ると少々思い当たることがあるのでご紹介したいと思います。

◇警察発表の「傷」を「けが」に書き換える


事件・事故原稿でお世話になるのが警察発表。警察用語の取り決めで、被害にあった人は(1)死亡=24時間以内に死亡(2)重傷=30日以上の治療を要するけが(3)軽傷=30日未満の治療を要するけが、の三つに区分されます。でも、この分類はかなり大ざっぱ。例えば「重傷」は、骨折から命にかかわるものまで幅があるため、マスコミ独自に「重体」という分類を加えて、「左足の骨を折る重傷」や「全身を強く打ち意識不明の重体」などとしています。いずれにしても、警察発表を基に傷の部位や程度を、当事者の身分や事件・事故の状況などと共にくわしく取材して補っていきます。実は内容を補足するときに「傷」から「けが」への書き換えをよくしています。

特に書き換えが発生するのが「軽傷」の場合です。原稿で「右腕に軽傷」「顔に軽傷」などと書こうものなら、「警察用語をそのまま書くな、もう少しまともな日本語を書け」とデスクの眉間(みけん)にしわが入ります。確かにこれでは舌っ足らず。「右腕がどうなったんだ?」「顔はぶつけたのか? 切ったのか?」。そこで傷の様子を加え、「右腕に軽い打撲」「顔にすり傷」などとなります。ところが軽傷だと、警察でも現場でしか細かい状況を把握していないことが多く、傷の様子が不明な場合が出てきます。そんな時は苦しまぎれに「右腕に軽いけが」などとぼかします。ここで「軽傷」としないのは、「軽いけが」の方が日常的に使われる言葉であること、そしてなんといっても「横のものを縦にしている(警察発表を書き写している)のではない」(警察広報は横書きで、記事は縦書きだから)という記者のプライドの表れだと思います。ちなみに「軽い傷」としないのは「切り傷」のイメージがあるためでしょう。

もちろん、第一報段階で警察でも傷の程度がわからず「けが」とぼかして発表する場合は、記事も「けが」などとなります。また、「重傷」のときでも「肋骨(ろっこつ)と右足の骨を折る大けが」などと、記者によってはあえて「けが」と書き換えることもあります。

◇最大の原因は認識不足


「けが」と書き換えたのだから、あとに続く言葉に気をつけなくてはいけません。でも出稿現場での認知度は低いようで、恥ずかしながら私を含め、当時の仕事仲間数人にあたってみましたが用語集の認識不足は否めませんでした。

今思うと自分の頭の中では「けが」は「傷」とほぼ同義語で、「傷」よりも意味がやや広いものという認識でした。そして「傷を負う」はOKでも「けがを負う」はダメという用法の違いを意識することはありませんでした。

言い訳をさせてもらうと、駆け出しの時はどうしても原稿を書くのに時間がかかり、「用字や表現がおかしくてもいいから、早く出せ」とデスクにせっつかれ、用語集をじっくり見ている余裕はありません。スクラップブックを広げて見よう見まねで、ただひたすら書いていきます。過去記事を手本にし、デスクの打ち返しをじっくり確認することで、新聞の基本的な用字や文体のスタイルを肌で覚えていきます。

支局でも「出会い頭」→「出合い頭」など、先輩記者やデスクから注意するよう受け継がれるものも多々あります。「けがを負う」→「けがをする」も、そんな一つに加わればと、改めて思いました。
【高木健一郎】

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