茶道に関する講演の詳報を校閲していたときのことです。講演の内容は千利休とその弟子だった戦国大名らとの交流に及び、「キリシタン大名の高山右近は前田利家にかくまわれるが、(禁教令を発した)秀吉の追及は厳しく、とうとう長崎からフィリピンに護送された」というくだりに目が留まりました。何かがひっかかります。

頭の中に浮かんだのは、最近読んだ漫画「へうげもの」(山田芳裕作)でした。戦国大名で茶人でもあった古田織部が主人公の歴史漫画ですが、史実に沿いながらも人物を大胆に造形し、茶と数寄の道に情熱をかける生き方を奇抜な絵柄で躍動的に描く傑作です。高山右近は、禁教令の下でも信仰と南蛮趣味を貫いた気骨ある武将として登場します。

問題は、この漫画では豊臣秀吉の禁教令が発布されたのちも、右近がフィリピンに追放されずに登場することです。大名の地位は捨てますが、日本国内で織部と話している場面もあります。こうした場面をなんとなく覚えていたために、秀吉の禁教令によってフィリピンに追放されたというふうに読める冒頭の記事にひっかかりを感じたのでした。

改めて「日本史広辞典」(山川出版社)を引きました。高山右近の項には「1587年のバテレン追放令で改易。その後小西行長や前田利家・同利長らの保護をうけ、小田原攻めや関ケ原の戦に参陣。1614年禁教令によりマニラへ追放」とあります。豊臣秀吉の項も見ると没年が1598年。つまり、右近が追放された1614年に秀吉はすでに亡くなっているので「右近が秀吉の禁教令によって追放された」と読めてしまう文章では、史実と異なってしまう恐れがあります。さらに調べると、秀吉の「バテレン追放令」は宣教師によるキリスト教の布教を禁じましたが、信者を国外に追放するなどの策はとっていませんでした。日本国内で本格的にキリスト教が禁じられ、弾圧が行われるようになったのは、徳川家康が起草し江戸幕府が発布した1612年の禁教令からであり、右近が追放されたのもこの禁教令によってでした。

結局、講演の詳報では「秀吉の追及は厳しく」を削除して紙面化しました。細かいところかもしれませんが、歴史ファンの読者にも、漫画ファンの読者にも恥ずかしくない紙面作りを心がけたいと思っています。
【沢村斉美】

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