「古都照らす寒中の炎」。1月27日の毎日新聞朝刊1面(大阪本社版)に載った奈良・若草山の山焼きの写真についた見出しだ。夜空を赤く照らして燃える山は、立春まであと1週間ほどというこの時期の近畿の風物となっている。二十四節気の大寒(1月20日ごろ)のころという意味でも、寒さの厳しい時期という意味でも、「寒中」という言葉がふさわしく、利いている。

このようにしっくりとくる季節の言葉ならいいのだが、悩ましい例もある。北アルプス・立山の紅葉を伝える空撮写真に、編集者から「錦秋」という見出しの案が出たことがあった。紅葉の時期ならではの言葉だが、写真を見て「あれ?」と思った。「錦秋」というには若干早いような気がした。山肌の6割ぐらいが常緑の木々なのか緑のままで、谷筋など2割ぐらいが赤あるいはだいだい色、あとの2割ぐらいが黄色に色づいている。確かに見ごろの木々もあるようだが、私は「錦秋」という言葉に、辺り一面が紅葉の赤や黄色、だいだい色で染まり秋も最盛期を迎えている、というイメージを持っていた。

そこで国語辞典で「錦秋」を確かめると、「紅葉が錦のように美しくなる秋」(広辞苑)、「紅葉が錦のように鮮やかな秋」(大辞林)、「錦の織物のように自然の色の美しい秋」(日本国語大辞典)、「『木ぎが紅葉して美しい秋』の漢語的表現」(新明解国語辞典)などとある。「錦のよう」というたとえにヒントを求めて「錦」を引けば、ほぼ「紋様の美しいものをたとえていう語」(広辞苑)と説明される。つまり、緑、赤、だいだい色、黄色の割合や、紅葉の程度についての定義はない。辞書を引くかぎりでは、秋に、紅葉が織物の文様のように美しいと感じたのなら、それは「錦秋」なのである。

結局、私のほかにも何人かがしっくりとこないと言い、「錦秋」という見出しはつかなかった。「緑が多いとあまり錦秋という感じがしない」というこの感覚、何に由来するのだろう。ふと唱歌「もみじ」を思い出した。「赤や黄色の色さまざまに水の上にも織る錦」。子供のころに何度も歌ったこの歌詞が、案外、刷り込みとなっているのかもしれない。
【沢村斉美】

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