Q 「絶望になった」「絶望となった」で絶望的になりました!

A 突然言われても。どういうことですか。

Q ある大関が横綱昇進に事実上失敗したとき、「(昇進が)絶望になった」という原稿があって、「絶望的になった」ではないかと言ったんですが、「的」が付くとまだ可能性が残っているみたいだから「絶望」のままでと言われたんです。では「絶望となった」としてはどうかと言ったら、そのままでいいって言われたんです。どう思います?

A 「絶望になった」? 間違いじゃないでしょうが、あまり言いませんね。 

Q でも「『絶望的になった』はよくて『絶望になった』はなぜいけないんだ」と言われたときに「そうは言いません」では説得力に欠けます。なぜいけないか、理屈で説明しようとしても言葉が出てこない。それで絶望的になったんです。自分にも、日本語の曖昧さにも。

A そう言われると、「となる」と「になる」はどっちも使って、使い分けを説明するのは難しいですね。おや、太宰治「斜陽」にこんな例がありました。「戦局がそろそろ絶望になって来た頃」

Q とすると、「絶望になった」でいいってこと?

A まあ待って。「春になった」「春となった」はどちらが自然な言い方と思います?

Q 「春になった」かなあ。でも「春となった」も言うけど。「と」だとなんだか「長い冬が終わってようやく春となった」とか、思い入れが違うような気がします。そうか、「と」の方が重々しいという差があるんですね。

A そうですが、そればかりともいえない。NHKの「平清盛」で「俺は海賊王になる」というせりふがあって……。

Q それって某超人気マンガのパクりでは?

A それはともかく、思い入れはたっぷりあるせりふなのですが、この場合「俺は海賊王となる」には普通ならないと思います。しかし「海賊王となった」と過去形なら十分ありえます。そう考えると感覚的には「となる」には過去の、「になる」は未来のイメージがあると思うのですが。

Q ううむ。分かるような分からないような。


◆「変化の結果」と「転化の結果」


A では辞書を引いてみましょう。広辞苑では「に」に「変化の結果を示す」とあります。「と」は「転化の結果を示す」となっています。

Q 変化と転化。微妙に違いますね。転化の方がより劇的かもしれません。

A 大辞林では「に」は「変化する結果を表す」、「と」が「動作・作用などの帰結・結果を表す」となっています。

Q 同じ結果でも「に=変化する」「と=帰結」という違いがありますね。

A さっき言った「に=未来」「と=過去」のイメージは感覚的ないいかげんなものですが、さほど外れてもいないでしょう。

Q いいかげんだったんですか。でも「春になった」は自然ななりゆきですが、「春となった」はさっき言ったように長い冬の「帰結」と新たなステージへの「転化」を感じます。

A 太宰治の例だと「そろそろ」というのがゆるやかで必然的な印象となるため「戦局がそろそろ絶望になって来た頃」が自然なのでしょう。

Q ははあ、分かってきました、「綱取りが絶望的になった」がよくて「綱取りが絶望になった」に違和感を持つ理由が。「的」だとまだどちらに転ぶか分からない、未来が感じられる状態だから「絶望的になった」で、綱取りに失敗した段階はまさに望みが絶たれた局面に「転化」したわけだから「絶望となった」がしっくりくるわけですね。

A そう思います。ちなみに「大野晋の日本語相談」によると、「新聞や雑誌のように、なるべく人々に強い印象を与えようとする文章では、『……になった』という、自然的結果に向いた言葉づかいよりも『……となった』という、意識的に資格を得た形式を使おうとする」ということです。

Q よかった、「絶望となった」に直して。

A えっ、「に」のままにして悩んでいたのではないのですか?

Q いえ、えいっと直しちゃいました。でも後付けとなりましたが勉強になりました。

A 使い分けた締めとなりましたね。 
【岩佐義樹】

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