「正恩氏演説  初の肉声」。北朝鮮の金正恩第1書記が演説したときの毎日新聞の見出しだ。軍事パレードが開かれた広場に姿を見せ、自らの声で聴衆に訴えかけた。ある新聞は「初めて伝えられた肉声は張りのある低い声」と報じた。テレビのニュースでも取り上げたから、その様子を見た方も多いだろう。演説文を読み上げる彼の前には、幾本ものマイクが並んでいた。

多くの国語辞典は「肉声」を「マイクロフォンなどの機械を通さない、人間の口から出る生の音声。『肉声に接する』」(広辞苑第6版)などと説明している。「マイクロフォン」のところは、辞書の新旧によって、電話だったり、ラジオだったり、蓄音機だったりする。その説明に従えば、その喉、唇から発せられた音声をじかに聞くのでなければ、肉声に接するとはいわない。カラオケで気持ちよさそうに歌う、友人、同僚の声はわが耳には肉声としては届いていないのだ。まして、広場の壇上からマイクを通して初めて伝えられた「張りのある低い」声はさらに放送局の設備を経由し、ラジオ、テレビを通じて北朝鮮の国民に届いたであろうから、これを「肉声」ということはできない……。

新聞記事では、機械を通したか否かにかかわらず、「肉声」と書くことが多い。「(亡くなった)マイケル・ジャクソンさんの肉声を公開」と音声記録に残された声についても、そう書くことがある。辞書より広い意味で使っているのだ。これは「被害者の肉声を直接裁判官に伝えることが大切だ」というように「誰かを介せず本人自身が吐露する本当の心情、考え」といった比喩として使われることと関係があるかもしれない。

「肉声」の使い方については、以前、新聞・通信・放送の校閲関係者の集まりでも話題になった。「いまは講演会やトークショーなどその場に居合わせたとしても、マイクなどを通さない生の声を聞くことはめったにない。本人がその場にいて、自分の声で話すのであれば、肉声といってよいのではないか」という意見が多かった。報道の分野では、機械の介在の有無より、本人が自ら発した声であることを重視する傾向にあるようだ。
【軽部能彦】


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